こんにちは!こんばんは!今回も知っておきたい発達障害に関するノウハウや情報を提供させていただきます!本日は「日本子育て」についてです。

インターネットで「子育て、日本」と検索すると、その後に続いて出てくる言葉が「問題、大変」など、ネガティブな言葉が並びます。なぜ、子育てしづらいと感じるのでしょうか?そう感じる原因を歴史の面から考えてみました。

しかし、悪い所ばかりでしょうか?日本の子育ての良い所があります。海外から見た、日本の良い所も紹介します。また、日本の発達障害者のために作られた法律、発達障害支援法についてもまとめています。ご覧ください。

子育てのしづらさの原因は“手伝う”という意識

日本の子育てのしづらい原因は、育児に積極的でない父親がまだ少なからずいて、育児は夫婦がともに行う仕事ではなく、妻(母親)を手伝っているという意識が子育てのしづらさだと考えます。

令和の時代になり、男性の育児休暇のための法整備が進みました。しかし、2022年に厚生労働省が発表した育児休業取得率13.97%。2割にも達していません。男性の育休取得率が9割程ある北欧に比べると、本当に少ない数字です。

しかも、日本の男性は、“仕事で長時間働いているから”、“家にいる時間が短いから”という単純な理由ではなさそうです。個人レベルの問題ではありません。

日本は“男性が仕事をして、女性が家事、育児を担う”という考え方が根強く、多くの父親が取得できていないのが現状です。制度として整えているのに周囲の理解があまり進んでいない事実があります。

また、少子化により、子どもとのふれあいの経験がない中で親になり、父親、母親間の認識差や、“母親に任せた方が楽”という感覚、“何をすれば良いか分からない”という知識の習得機会の不足、という社会的な要因も絡んでいると考えます。

ところで、育児は母親主体、子どもは母親が面倒を見るもの、という概念はどこからきたのでしょうか?これから、少し、日本の育児の歴史を振り返ってみたいと思います。

歴史的に見た日本のお父さんの育児

育児についての認識は単に、男性の意識が低いわけではなく、歴史的な背景も影響を及ぼしていると考えます。というのも、実は、江戸時代は育児に積極的なお父さんが数多くいたようです。

母親が育児に参加するのは明治に入ってからでした。時代を分けて説明していきたいと思います。

江戸時代ごろのお父さん

江戸時代は経済が安定し、身分制度もととのえられ、平和な時代が長く続きました。しかし、医療体制がまだまだ充実しおらず、乳児死亡率も高く、育児が大切な仕事でした。庶民にも、子どもが健全に育つようにどうすれば良いか?という視点に注意がむけられ始め、当時、育児本もたくさん出回っています。

父親向けの育児の教育書も多く出版されていて、“子どものわがままを許すと、将来、家族をないがしろにする。もし、年長者に嫌な事を言われても怒ったりせず、つつしんでうけ止めるべき。”や、“子どもがかわいいのは自然だが、教えなければ育たない。教えるのは、親の責任。”など厳しくしつける、優しく諭す、二通りの教えがあったようです。

身分制度はありましたが、あいさつや、生き方の教えなどを重んじていて、家業を継がせる事が一般的だったため、男の子のしつけは父親の仕事。将来嫁ぐために女の子のしつけは母親の仕事でした。

つまり、立派に子どもを育てられないと、父親の恥、家の存続にもかかわる大仕事。江戸時代の教育は、お父さんが中心だったようです。

明治時代から大正時代ごろのお父さん

時代は変わり明治時代になると、新政府になり、西洋文化の影響を受けはじめます。しかし、家制度という家族を養うための法律があり、その権利と義務を持つ戸主(こしゅ)となる父親が、まだ、絶対的な権力を持っていました。

教育に関する考え方は、目上の人に尽くすという奉仕するという儒教(じゅきょう)の精神と、西洋の影響を受けた子どもを理解し、のびのび育てるという考え方があったようです。そして、母親の教育が重要というのも西洋から影響受け、主として育児する人は母親と認識され始めました。

身分制度も撤廃され、家業を継ぐ必要もなくなり、明治の中頃になると、小学校令が出て義務化、父親は子どもに教える機会がへりました。自由な風潮の大正時代がやってきて、父親は厳しくという風潮が目立たなくなりました。

そして、富国強兵の時代、戦争の時代へ少しずつ向かい、父親は、不在がちになったと考えられます。

戦前から戦後、高度経済成長期のお父さん

そこから、軍国主義に入り、社会情勢が儒教の精神に戻ります。男性を戦地に送り出すため、父親は戦場に、母親が責任を持って子どもを育てるという風潮に国家主導でなっていきました。ここでも軍国主義に染まった考え方の父親と、そうでない父親に分かれましたが、多くの父親が戦地に行き、男性の人数が大きく減りました。

戦後、混乱していた経済を、特需景気により企業を立ち直らせ、技術革新が起こり、成長高度経済成長期が訪れました。

その頃から、男性は会社にて“長時間労働し、女性は家庭を守る”という、“性別分業制”という風潮が主流になりました。しかもその当時社会構造は、男性が主たる稼ぎ手として日本の雇用システムを作り上げ、その中で働いていた女性は、低賃金の不安定労働者という扱いでした。

この頃、第一次産業である農業などで生計を立て、何世代が同居し家業をする家族が減り、現代の過疎化、高齢化につながる核家族化が進みました。その頃、第二次産業などで働いたサラリーマン層の経済は豊かになっていき、専業主婦の割合も高くなり、『教育ママ』と呼ばれる母親が普及し、子どもの大学進学率も上がっていきました。

この頃のお父さんは、忙しく、子どもと過ごす時間がほとんどなく、子育てに参加したくても、必然的に参加できない状況とも言えます。しかし、豊かな経済の裏で、教育格差などが起こり、その頃の母親はまさにワンオペだったのではと考えられ、孤独だったかもしれません。

バブル経済から平成時代のお父さん

バブルが崩壊後、1990年代になると不景気にともない、専業主婦だった中高年の主婦が、パートに出はじめ、共働き世帯の割合が増えました。

この頃から、女性は家庭に仕事がプラスされ、“男性は仕事、女性は家庭と仕事”という新しい性別分業になりました。

しかし、男性優位の社会は変わりなく、女性は低所得で、家庭プラス仕事が追加されましたが、専業主婦だった頃にしていた家庭の仕事量とは大差がありませんでした。

内閣府が、平成14年に調査した男女共同参画白書では、出産や子育てのため仕事に対して何らかの影響を受けた母親は6割程度いるのにもかかわらず、9割近くの父親は変化なしと答えています。調査結果から見ても、女性が家事や育児のために働き方を合わせていて、男性には頼れない状況がうかがえます。

その姿を見て育った世代が次の世代の親になり、性別分業が受け継がれ、もっと家事や育児に参加したいという男性の若い世代は増えても、それまでの男性は仕事。女性は家庭という社会構造が根底にあるので、個人の声はなかなか通りにくく、脱却できなかった時代と考えます。

令和のお父さん

現代は令和の時代に入りました。

まだ、今までの社会構造は変わっていません。ある程度の年齢になったら、結婚する。男性は仕事、女性は家庭と仕事。赤ちゃんができたら自然に母性が生まれる。などの固定観念もまだ根強くあります。

新型コロナの流行もあり、緊急事態宣言が出される中、それ以前より家事、育児を担う時間が増えたと回答した割合が高く、やはり、夫に比べ妻の方が高い確率でした。

自分だったらどうするか?と考えたら、“手伝う”という感覚から“夫婦で分け合って行う子育てミッション”と考えるのもひとつかもしれません。

我が家は、子ども3人の核家族。お互いの両親は遠方。夫婦で家事、育児をしています。一番下の子どもは一歳を過ぎたばかり。まだまだ手がかかりますが、この記事を書いている今は、お父さんに寝かしつけられ寝ています。夜泣きの時も、私よりお父さんが起きている事もありますが、日常的なごく普通の出来事です。そんな家も現在の日本にある一つの家族です。

時代は多様化になりました。今まで書いてきた過去よりも、制度は着実に充実しているはずです。父親の育児や家事の参加率は、いつの年代も急激に増える事はありませんが、少しずつ増えています。前の世代から引き継いでしまった固定概念を取っ払らえるとように令和のお父さんの活躍に期待しています。

日本の子育ての良い所

では、日本の子育ての良い所はどこでしょうか?普段当たり前に感じている事が、海外の方から見ると、実はすごい事だったようです。では、世界から見た良い点3つを紹介していきます。

  • 治安が良い
  • 医療費が安い
  • 給食による食育

治安が良い

日本が世界的に見て安全な国と言えます。世界的に見てもの犯罪の発生率が著しく低く、戦後、銃刀法により民間人は銃を持つことが規制され、絶対とは言い切れませんが、街中で突然、窃盗される可能性におびえながら生活しているという日常ではありません。

落し物がきちんと交番に届けられていたり、夜遅くに女性が一人で歩いていても安全というのは、海外の人から見ると、とても不思議な光景に移るそうです。

医療費が安い

海外では、医療保障制度が充実していない国もあります。アメリカを例にすると、医療技術は高いですが自由診療のため医療機関、州や地域ごとに医療費が違います。

一部の保険対象者を除き、65歳以下の人は、勤務先などの民間保険に加入し、その保険によって、医療費をカバーします。保障内容も保険のプランによって変わり、ちょっとした病気で気軽に医療機関に行けません。

いまだ無保険者も多く、もし無保険で医療機関に受診すると、日本では想像できない位の金額を請求されるそうです。

日本では、国民皆保険制度という制度があり、全ての国民が、何らかの公的医療保険に加入する義務があります。きちんと保険料を納め、保険証さえあれば、国内でいつでも、決まった金額割合で医療を受ける事ができます。

また、都道府県により実施年齢などは異なりますが、乳幼児医療費助成制度があり、医療費が対象年齢まで、医療費助成が受けられます。なので、日本の保険制度はとても水準が高いと言えます。

給食による食育が充実している

給食は1920年代に給食が奨励され、それから時代とともに進化し続けています。現代の給食スタイルに落ち着いたのは、1970年代ごろですが、平成17年に食育基本法という、子どもの食に対する正しい知識や地域の伝統的な食文化、感謝の気持ち食料の大切さなど、“食育”に関する法律を国が制定しました。

厚生労働省により給食を作る施設には栄養士の配置義務があり、毎日の給食のメニューをいろいろな食材を取り入れながら、子どもの年齢に合わせた必要な栄養を取り入れた献立が考えられ一回の食事に対する栄養価の基準も定められています。食材もはじめから調理され、給食費も安価です。

諸外国に比べ、日本の給食は特徴的で、子どもがクラス単位で自分たちの食べるものを配膳し、食べた後も片づけるというスタイルも日本ならではだそうです。日本の子どもは給食を食べる事により、自然に健康的な食事を食べる事を学んでいます。

忙しい日常で、家庭の食事は偏りがちになりますが、日本のお父さん、お母さんは、“給食食べてるから。”と少し安心できます。

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薄波
そうなのよね。
家では好き嫌いがあるのに、給食は、食べて帰って来るんですよね。
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京本
給食では、家庭では、補いにくい栄養素を中心に副食の献立が考えられているそうですよ!

発達障害者支援法について

発達障害の支援や援助が明確に法律で示されたのは平成17年4月。発達障害者支援法です。

発達障害者支援法(はったつしょうがいしゃしえんほう、平成16年12月10日法律第167号)は、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥・多動性障害などの発達障害を持つ者に対する援助等について定めた法律である。

引用元:Wikipedia

発達障害者支援法の対象者

前述した、厚生労働省が定めている発達障害の対象者です。

出典:厚生労働省

発達障害者支援法が制定された事により、今まで支援の対象にならなかった発達障害者に適切な支援ができるように法整備されました。以前は、知的な遅れを伴う発達障害者は、知的障害者の施策に含まれていましたが、知的な遅れが伴わない発達障害に対しては、明確な支援制度がありませんでした。

ポイント

以前は、「軽度知的障害は、障害が軽い」、「発達障害は個性なので、個人的な配慮は必要ないに」、「広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)が発達障害者の範囲だ」というような発達障害について誤解がたくさんありました。
また、発達障害者支援法が制定された事により、世の中に“発達障害”という言葉も広く認知されるようになりました。

発達障害者支援法の主な内容

発達障害者支援法制定後、平成28年8月に一度改正されています。そちらを中心にこちらでは簡単に説明します。

【発達障害者支援法の主な内容】

  • 障害があることで分け隔(へだ)てられることなく、意思決定の支援に配慮しながら、個性を尊重し共生できる社会の実現を目指す。
  • 国民は発達障害の理解を深め、発達障害者の自立や社会参加に協力する。
  • 発達障害の早期発見、発達支援を行い、切れ目なく関係機関が連携を強化する。
  • 学校などの教育機関は、特性に応じた教育上の配慮を行う。
  • 国が主体となり、就労が定着する支援を行い、雇用者は特性に配慮した雇用管理を行う。

法律改正により、支援体制の強化として、例えば、教育の場では、発達障害の可能性のある教育的支援が必要生徒に対し、個別支援計画作成やいじめ防止対策の推進。

就労の場では就労移行支援を利用し、雇用された後も関係機関と連携し、アフターフォローの制度が整備されています。(利用には一定の条件が必要です。)

生活の場では、発達支援センターが増設され、当事者や家族も含め支援が受けられるように配慮され、住み慣れた地域で安心して暮らしていけるように都道府県及び政令市に関係機関による協議会を設置されました。

司法の場では、裁判など場において、特性により意思疎通が困難な人に対して、手話通訳、要約筆記者、電子メールなどの手段の確保が明示されています。

これらは抜粋ですが、発達障害者支援法という法律は、社会全体で個別に配慮する人も尊重し、共生していけるために作られた法律ではないでしょうか?

まだ作られて19年程の新しい法律です。発達障害以外にも多様性をお互いに認め合う時代、誰もが暮らしやすく、共生できる社会のために内容が改善されていく法律であってほしいと願っています。

【関連動画】

こちらの動画でも簡単に概要を説明しています。

【関連記事】

こちらの記事では、集団生活や仕事にも生かせる行動認知療法に関する記事です。ご覧ください。

まとめ

この記事では日本の子育てと発達障害の法律についてまとめました。

  • 日本の子育てのしづらい原因は、父親の母親の育児を“手伝っている”という感覚だが、個人レベルの問題ではなく、根強い固定観念がある。
  • 江戸時代から大正時代ごろのお父さんは子育ての主体だった。
  • 戦前、戦後ごろから、男性は仕事、母親が育児という“性別分業”という考え方が広まり、そのままの状態で、バブル崩壊後、女性は“家庭と仕事”という新しい分業になり、そのまま引き継がれてしまった。
  • 令和の時代は多様性の時代、前の世代から受け継いだ固定観念を引き継がないよう期待したい。
  • 発達障害者支援法により、今まで支援の対象にならなかった人が支援の対象になり、“発達障害”という言葉も広くされるようになった。これからも誰もが暮らしやすい社会になるように内容が改善されて欲しい。

この記事が誰かのお役に立てれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。